一、
我々のあらゆる生は、その全ての行為と出来事は、我々が「生きている」というそのことに基づいている。霊的な次元を問わないならば、万民が何を欲しようとまず生きていなければならない。しかし、我々は常に多数の生命を奪って来た。戦争がその最たるものであり、貧困を必然化する社会システムがあり、事故もあれば過誤もある。殺害は他者になしうる最大の悪であり、罪をなす。人類の文明は諸々の面で発展したが、犠牲も比例的に大きくなっている。核の脅威は未だ世界から取り除かれてはいない。
一、
意味と価値というものは、無意味と無価値との絶えざる戦い、否定、拒否である。我々は歴史や人生の意味を問い、その無意味を結論することが可能だが、絶えず無意味を否定することも可能である。寧ろ、生とはこの無意味性=死(無)との戦い無くして維持できない。死は最大の悪であり、罪である。
我々のあらゆる生は、その全ての行為と出来事は、我々が「生きている」というそのことに基づいている。霊的な次元を問わないならば、万民が何を欲しようとまず生きていなければならない。しかし、我々は常に多数の生命を奪って来た。戦争がその最たるものであり、貧困を必然化する社会システムがあり、事故もあれば過誤もある。殺害は他者になしうる最大の悪であり、罪をなす。人類の文明は諸々の面で発展したが、犠牲も比例的に大きくなっている。核の脅威は未だ世界から取り除かれてはいない。
一、
意味と価値というものは、無意味と無価値との絶えざる戦い、否定、拒否である。我々は歴史や人生の意味を問い、その無意味を結論することが可能だが、絶えず無意味を否定することも可能である。寧ろ、生とはこの無意味性=死(無)との戦い無くして維持できない。死は最大の悪であり、罪である。
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