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太田努「北村透谷に見るもう一つの『明治の精神』」



太田努「北村透谷に見るもう一つの『明治の精神』」(民主文學20181)を読んだ。北村透谷には10年来の関心がある。文学と社会運動、政治運動という事を考えてみたときに、未だ本格的に社会主義文献の輸入もなされていなかったであろう時期にいち早く民主主義や立憲主義、人権思想を拠り所として発言した文学社が存在したということは、自死によるその早逝が惜しまれつつも日本の読書人をして勇気付けるような所があると思う。欧米の文学史的な潮流から見るならば、日本の急激な近代化が産んだ分類し難い独特な存在ということになるのではないか。社会思想、ロマン主義的な文学思想、宗教と政治とが一個人の中で葛藤しつつ結び付けられている。だが日本近代文学史にとって、ことに精神的な影響の頗る大きかったであろうことは、ちょうど日本近代史にエポックメイキングな存在だった萩原朔太郎の詩の世界が相当に倒錯的であったり奇異な感覚を展開するものであるような、ある種の後進資本主義国的歪みをも感じさせる。

「内部生命論」は短くて比較的読みやすい。ここに言われている「内部生命 Inner Life」の出典がどこに求められるべきかは知らないが、キリスト教神秘主義やロマン主義的な匂いのする概念である。端的には「人はパンのみにて生くるにあらず」の意味での内部生命であるとは言えるはずだ。透谷にはおそらく明治という封建制と近代性の矛盾しつつ目眩く混交する情勢の急激な発展の中で、封建制的なもの、形式主義に堕したものを、自身がいわば生命そのものの化身として一掃して、水々しい精神文化を新たに花開かさねばならないという使命感があったはずである。その透谷がわずか25歳で自死せねばならぬ運命には、時代的理由を超えた何か人間の根源的な宿命のようなものを感じざるを得ないが。この生命の観念は、ニーチェやベルグソンの浸透を通じた大正生命主義を準備するものであったに違いない。

「蓬莱曲」も読んでみたいものである。蓬莱とは中国のおそらく道教由来のユートピアであり、いわばユートピア文学を明治に志したものと思われる。空想的であろうと科学的であろうと、社会は常に理念としてのユートピアを求める。

それは近代以前の文芸と近代以降の文学との主題論的な区別の契機とすらいえるかもしれない。日本の近代文学にとって先駆的な作品であるだろう。

コメント

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・ヘーゲルの判断論が歴史の進展と一致している点は、大論理学でも特に分かりにくいところだがおそらく、ここで言われている「判断」とは「正しい判断」である事を基本に据えると理解しやすくなる。我々がある外的対象としての赤いバラを指して「バラは赤い」(バラは赤い色を持って存在する)という判断を行う。すなわち、バラと赤とを結合する判断を行うが、これは外的対象としてのバラが赤い色をしてるから正しい判断、言明なのであって、外的対象の姿が先行している。では外的対象としての「バラが」「赤い」という事態が存在するためには、外的次元でバラが赤くなっていなくてはいけない。つまり、論理的判断が言明される前に、対象がそのような姿に変化=発展していなくてはならない。このような外的変化が、いわば客観的世界の「判断=変化発展』であり、言明としての主観的な論理的な判断は、この外的出来事を意識において再現するものだといいうる。
・歴史の運動は様々な力の合力によって生じる。大部分の一人の人間は、成人すれば生活資金を獲得するために労働する。だが、自分では労働せず労働を統制支配する階級が存在している。この少数の支配層の歴史規定力が圧倒的に強いのが資本主義的な階級社会であるが、このように支配と被支配の関係があり、歴史の方向性は少数の支配層に左右されているにも関わらず、大局的には、真なる歴史主体としてのプロレタリア階級が、歴史を前に進めている。つまり偽の力による歴史規定は表面的なもの、現象的なものに過ぎない。 ・マルクスがいわゆる「唯物史観」を考えるに至ったのは、一つはヘーゲル弁証法的な歴史把握であり、一つは実証的な歴史研究を手段としたはずである。特にヘーゲル歴史哲学の唯物論的な批判が最大の契機だったのではないだろうか。

テスト

編集 やっと風邪が快方に向かいつつあるが、まだ完治ではない。「物語」とは何か、というのは、 高専 生時代に 蓮実重彦 や 中上健次 を読んでいた私にはずっと意識の片隅にあるものだ。多分、 蓮実重彦 の物語概念はフランスの説話論を下敷きにした「独創的」なものなので現代フランスの文学思想を参照する労を厭いさえしなければ理解に困難なものではない。だが、ものぐさなので放置している。最近、ふと 吉本隆明 が 共同幻想論 を書かねばならなかったのは、政治家と芸術家の社会 存在論 的な交点においてその存在を客観視ー反省する必要があったのだろうと思い当たった。戦後、 アドルノ のテーゼ( アウシュビッツ 以後の詩人の野蛮性)にみられるがごとき芸術家の 存在論 が厳しく問われた、それは表面的には芸術家の社会参加ーアンガジュマンの形式を取ったが、これを マルクス主義 よりは 民俗学 的な次元で扱う必要が 吉本隆明 にはあった。勿論そのベクトルは、 学生運動 の指導者から神話学の研究に向かったレヴィストロースと軌を一にするものだ。だが多分、 共同幻想 とは共同体と芸術家=政治家との関係において問われるべきまさに「物語= イデオロギー 」の問題であったという視角が、その前も後も広く了解されたのか否かは知らない。